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学区の歴史インフォメーション②


有史以前からの陸前高田付近における大地の変化概況
 上の図のように大きな氷の塊を乗せていた船があったとします。これは氷河期の大陸プレートにとてつもなく大きな氷床があった状況を例えています。温暖化による氷床の融解の速さに比べてプレートがバランスを取りながら平衡を保つ時期までというのは遙かに時間のかかることですから,ここでは乗せていた大きな氷の塊は急に蒸発して雨となり海に一気に降ったと考えます。船は氷を乗せていたポイントにありながら,海面の方は上昇しました。これが縄文海進だと言えます。その後,リバウンドのように船はもっと浮くことになります。それは即ち縄文海進後の大陸隆起と考えられます。
 所によっては更に下の図の流れのようにリバウンドがより大きかったところもあるでしょう。今泉地区では(と言うよりは広田湾内では)結局10メートル程の海進があったと想像されています。長部湊の湾口に現在浮いている籬島はおそらく縄文海進によって水没していたと考えられます。また,現在の気仙川も河口は竹駒付近で,現在の高田平野等の地点は氷河期に谷間だったところが一気に海となり,遠浅ではなかったことが震災復興工事の前段階で東京大学関係者によるボーリング調査で明らかになっています。
 「昔からの地形は歴史がどのようであろうとも,ほぼ変わりなく継続してきた」という先入観のようなものは時に誤解を招きかねません。今回,地域の歴史を調査するに当たって海岸線や川筋の変遷は重要な点だと思えます。かつ,他地域に比べて何故川の堆積作用が比較的大きくなってきたかを考えると,気仙川上流付近での数多なる鉱山開発は勿論,ひとつに古代より金鉱の採掘が行われてきたと言う特殊事情があると思います。奈良時代からの砂金や山金採掘は自然破壊に等しいスピードで進められていたかもしれません。玉山金山や雪沢金山だけが限定されて操業されたというよりも,いろいろなところで試みたところ,そのような地点で採算に合った操業ができるというぐらいの乱開発だったことは十分に考えられます。
 金山が枯渇しつつも,今度は仙台藩直轄地とか明治維新後の時代要請によって産業開発が進められて,川の堆積作用は継続中という状況も想定内のことと考えられます。陸前高田は自然に恵まれた環境と言われるのですが,ある程度自然と共存しながら自然のバランスが崩れないようにこれまでは歴史を歩んできたと思われていました。しかし実は先の大津波によって遠い過去の海岸線が突如再現されたように大自然の猛威によって大地が目まぐるしく変化してきた地とも考えられます。

(注)三陸ジオパークホームページよりの資料によりますと,「早池峰連峰以南の南部北上山地の古生代の地層は、およそ4億年前にはゴンドワナとよばれる巨大大陸の北縁(現在の赤道付近)にあったと考えられており、その後、プレートの移動によって大陸から分離・移動してきました。これは、アンモナイトや三葉虫、植物をはじめとする浅い海~陸地で生きていた生物の化石からわかってきました。」とあります。本州との衝突ではなく,本州の原型の形成こそが3千万年以降と考えるべきでしょう。更に東日本の隆起はフィリピン海プレートの移動方向が300万年前から突然変化したことによって引き起こされていると近年の研究結果によって示されています。少し古い文献を参考にしてしまうと混乱する模様です。