気仙中学校のブログ

学区の島々②・石川島

 写真の島は地図では石川島と示されています。その先端に人工の小島が見えます。2枚目の写真のように,かつて太平洋セメントの前身,小野田セメントの福伏鉱山からベルトコンベヤーで石灰石を積み出す長い桟橋がありました。3枚目は海からの撮影写真です。円筒のコンクリート支柱だけが,被災前と変わらぬ景色を残しています。
 この鉱山は昭和28年8月に石灰岩の大きな塊のような笠置山を露天掘りして開発が始められました。発破の際の避難壕が付近の各地に設置され,農作業で家族の手伝いをさせられていた担当者も時々利用する機会がありました。笠置山はいつの間にか地元では改名されたのか,石山と称されました。昭和41年3月に一旦は休止し,昭和49年7月に再開し,ほどなく閉山となりました。かつて標高204メートル程の山があったとは思えないほど山の形は変化しました。
 4枚目の写真は鉱山跡の航空写真です。現在は鉱業権は放棄されて陸前高田市が取得し,昨年以来復興事業の土砂仮置き場用地としてダンプカー等が絶えず往来しています。本校校歌の冒頭で歌われております愛宕山を切り崩して,今泉高台造成工事が行われております。高田町方面へ土砂を運搬する役目を終えて昨年10月以降に巨大ベルトコンベアーや希望の架け橋は撤去されましたが,愛宕山の岩盤が当初の想定よりかなり固くて,なおかつ周辺地域へ工事の発破による振動の被害を軽減させるために強力な爆薬ではなく特殊な機械を用いて工事が続けられています。愛宕山から出た古生層礫岩(花崗岩やチャート等で構成されているとのこと)の岩盤破片を石山の露天掘り跡に運んでいる訳です。
 地図では石川島とあるのですが地元民の中には鉱山に因んで石山島と呼ぶ声もあります。もしかすると地図の誤植かも知れないと思ってしまうのでした。




2016/12/28 16:00 | 2016年12月