気仙中学校のブログ

学区の島々⑥・鯨岩(地元の郷土芸能について)

 左手前が鯨岩です。その沖に子鯨のような岩礁も。その向こうに野島が見えます。かつては満ち潮の時に潮吹きが見られましたが,地震による地盤沈下の影響がまだあって,干潮の時以外は潮吹きが多かれ少なかれ見られます。

 さて,今回は長部の郷土芸能について以下に挙げられるものがありまして紹介します。資料提供は市立図書館及び各地域の区長さんからの談話によります。

「二日市梯子寅舞」(陸前高田市指定文化財)
 今から167年前の嘉永3年5月4日(1850年6月13日)の明け方,長部村長圓寺境内に雷のような大音響とともに重さ約135kgの,隕石が落下しました。日本最大の石質隕石「気仙隕石」がそれです。村の人たちは大変驚き,何か悪いことが起こる前ぶれではないかと恐れました。そこで,厄よけの「悪魔払い」と,「地這い(はい)踊り」「梯子(はしご)踊り」があります。日本最大の気仙隕石の落下がきっかけとなり生まれた二日市寅舞。それは隕石とともに大変貴重な文化財といえます。地域に住む本校生徒も大勢参加しています。先日の7日正月も各地を踊って鳴らして練り歩きました。なお,本校文化部では昨年度の文化祭で「気仙天隕石物語」の著者・宮城隆興先生(長圓寺の前住職様で中学校国語や技術の先生も経験されておりました)に因んで,その横書き版等を発表していました。

「長部湊七福神舞」(陸前高田市指定文化財)
 大正の初めに地元の小泉春吉という人が広田町根岬に古くから伝わる七福神舞を伝授され,これを長部地区の有志に伝えたのが始まりです。七福神舞は,大黒天,恵比寿,毘沙門天,福禄寿,弁財天,寿老人,布袋和尚の順で踊られます。耳たぶや長いひげ,よろいの衣装や女性のかつらなどを見につけ7つの神に扮し,生き生きとユーモラスに踊ります。五穀豊穣・大漁祈願をし,合わせて家内繁盛・厄払いの行事として行われています。

「古谷大漁歌い込み」
 始めの演目に笠踊りがあります。次に櫂と被りを使っての大漁歌い込みです。その次に河内男節の披露があります。最後に再び笠踊りがあります。中村さんの指導により,郷土芸能として磨きがかけられたとの区長さんからの談話でした。

「双六花笠踊り」
 始めの演目は通称「しゃらりと」,次に組踊りの大漁万作,最後は華やかな花笠を持った昭和30年から演目に加えた「双六おばこ」です。昭和30年に取り入れた当時の頃まで長部各地で夏に七夕祭りが行われ,七夕飾り作りや七夕囃子が盛んに行われていた,との区長さんよりお話。その華やかさが,この踊りに表現されています。

「要谷たるこ踊り」(陸前高田市指定文化財)
 明治30年ごろに気仙村要谷の船大工であった東海林万蔵という人が,鹿折村波板(現気仙沼市)に出稼ぎをしていたとき,その土地の郷土芸能のたるこ踊りを習い,要谷地区の人々に伝えたのが始まりといわれています。この踊りは,踊り手が,特製の一升樽を持ちながら踊ることから「たるこ踊り」と名付けられています。踊りは女性によるもので,「打ち込み」(櫂(かい)を持って踊る),「本座(ほんざ)」(本踊り,樽を持って踊る),「ひきは」(扇を持って踊る)の順で踊られます。囃子は「拳囃子(けんばやし)」「李陥(りとう)囃子」「羯鼓(かっこ)」からなっています。男性の囃子方にも妙味があり,けいこでも重点が置かれています。

「福伏笠置山相撲甚句」
 祭り太鼓で入場します。演目は始めに扇子を持って拳囃子,次に笠を持って笠踊り。相撲甚句は「西,気仙川~」「東,笠置山~」と始まります。震災後には全国各地からの支援・提供によって笛・太鼓・衣装など復活の資材が整ってきました。(区長さん談)

「上長部大名行列」
150年ほど前に始まりました。この当時からこの芸能は神社例祭神輿行列の先導を務めます。二日市寅舞はその殿を務めています。伊達政宗公や伊達吉村公等が当地を訪れた際の様子を模倣しつつ,慶長三陸津波からの震災復興を牛馬の牧畜産業で為し得た上長部地区のご先祖様の意気込みが伝わります。一昨年の例大祭では,東日本大震災に関わって,これまでの多大なご支援ご協力に対して「感謝の気持ちを伝えるため」伝統継承されてきた大名行列を行ったと区長さんよりのお話でした。地域に住む本校生徒も大勢参加していました。


2017/01/20 08:30 | 2017年01月