気仙中学校のブログ

学区の島々④・穴空島

 広田湾内の長部浜には素晴らしい景観の小島があちこちに点在していると3年前の東海新報の特集欄にありました。要谷漁港から見るとただの岩にしか見えないのですが,角度を変えると確かに海水の浸食によってぽっかり穴の空いた島です。6年前の大津波にも耐えて正(まさ)しく「一本松」が現在も南側の岩肌に這い残っています。3枚目は7年前に撮影した写真,4枚目は約100年前に当地の吉田画伯によって描かれた絵画です。
 『陸前高田市地名考』(細谷敬吉氏・著)による長部浜の「七島七明神」は「きわ島」「かき島」「籬島」「沖籬島」「へかみ島」「穴空島」「野島」がそれで,各島に明神様を祀り,これを七明神と言い,いずれも浜の安全と豊漁を祈願するもので,弁財天が安置されていたとあります。前述の荒木宮司による「七島七明神」でもこの島は穴空島の名で挙げられています。チリ地震津波復興事業として昭和43年夏に開通された県道福伏湊線(通称・海岸道路)の工事の際に,明神様は島から移動し,道路側に上陸させられました。
 海岸道路や堤防の工事が進展される以前,付近の磯辺・浜辺は他同様に,季節を問わず子ども等の格好の遊び場所でもあり,サッパ船を浜に曳く等の手伝いのためもあり,大勢の子どもがいました。担当者も海や海岸での遊びは勿論,現在の小中高生の親御さんに当たる年代の人達(当時彼らは更に幼い保育園児~小学校低学年)の相手も磯辺・浜辺でしていた覚えがあります。その逆に現在の小中高生の祖父母さんに当たる年代の人達から面倒を見て戴いた覚えもあります。そのような人間関係が地域のいずれの世代にもあるせいか,震災直後も避難所では地域全体が家族のような共同生活ができました。それぞれに役割が分担され,当番活動も行いました。当初の5日間は昼も夜も出入りがあったり町内で唯一残った消防団屯所が近くにあってその連携もあったりして焚き火を絶やさなかったので,宿直も交代で行いました。世帯の代表者だけでなく,多かれ少なかれ他の方々も共同生活をする上で様々に活動をしていました。担当者の場合は平日の日中が本校勤務なので,朝は4時から1時間番屋整理・物資の搬入等を2ヶ月程,夜は7時から3時間情報連絡・夜警等を1ヶ月程,休日の買い出しは避難所からの依頼分は2ヶ月程,薪作りは1年程など。地元の避難所で支援にあたった地元の方と遠野足湯隊の方のお話です…。

「日頃から危機対応意識が高く,一人ひとりの心がけの賜物だと思います。昔からこのあたりは漁村で,男達は遠洋漁業で何ヶ月も帰ってこないという家がたくさんありました。残る者たちは日頃から防災訓練をしっかりしていましたし,何かあればすぐに連携しあって自発的に動くことが出来ました。これまでに色々なサバイバル経験を積んでいらっしゃいます。危機に陥ってもあわてません。経験豊富な方々が臨機応変にかまどでご飯を炊き,お湯を沸かし,そのお湯も色々なことに循環活用して急場を見事に凌いで下さいました。」

「2011年5月1日(日)避難所から要望があり行きました。要谷公民館54人。自治がしっかりしていています。避難所の雰囲気がとてもいい。仲がいい。生活時間のめりはりがある。食事。朝と夜は,家がある人がローテーション(交代制)で自炊にきます。*避難所の人が一人います。メニューは,担当の方が年配だと,煮物系,料理の食材の応じて決められるようでした。昼。パン。-中略-整理整頓,掃除。布団は片付けて,まとめられ,寝るときに敷く…等。食事の時間は配膳された場所でとられています。子供の避難者は6名しかいませんが,雰囲気がいいので近所とか避難先親戚宅とか他の避難所とかから遊びにくる子供達もいます。子供達を叱れる大人がいます。80代のおじいさんが,元気な方で2時間かけて風呂を沸かす係。(この風呂は4月14日に北海道からの支援によって設営され,翌年3月下旬まで利用させて頂きました。それに伴いあの日の夜から地区民で公民館脇に設営を始めた番屋も何度もリフォームを繰り返しながら1年もの間,会議場・湯上がりの集会所・お茶飲みの場所等として活用されました。)避難所で,何もすることがないのは辛いことです。避難所にいる人達に役割を与え,相互支援ができる自治会は生活している実感も得られ,孤独になりません。この避難所の皆さんは,ますます元気になりますね。」(2011.5.2遠野足湯隊のブログより)

 …震災後,中高生が地域にいる時間が少なくなったり地区民の移動があったり,日常生活を取り戻すまでだいぶ間があったりしているのですが,地域の祝い唄の一つになる「たるこ踊り」郷土芸能活動を継続して行こうとする機運が高まり,昨年の学区の敬老会で復活させることができました。一昨年の月山神社例大祭が切っ掛けとなりました。本校の生徒の中にもそれに参加し出して何人かが地元で習い始めております。震災直後から鎮魂や厄払いを意味する郷土芸能は各地で復活しておりますが,豊漁・豊作等を祝う芸能活動も震災復興の兆しに伴って地域の絆の証として見直され復活され出してきたということです。


2017/01/12 10:50 | 2017年01月