気仙中学校のブログ

2016年5月の記事

運動会結団式

22日4校時に運動会結団式が行われました。運動会は、5月14日(土)に開催されます。紅白各30名ずつのメンバーになります。生徒会からスローガンが紹介されました。そして各組団に分かれてリーダーから心意気を伝えました。その後、エール交換を行いました。今年はどんなドラマを見せてくれるか今から楽しみです。(sas)


2016/05/04 07:50 | この記事のURL2016年04月

開校記念日

 本校の開校記念日は5月4日と記憶しております。担当者が本校へ入学した折に、憲法記念日と子どもの日の間の日に設定されて休日となっていると聞き、「先生方やるなあ」と思ったものでした。沿革誌では昭和22年4月1日に創設とありますが、その時点では大日本帝国憲法下であり、前年の11月3日に発布された新憲法が施行され始めた日の翌日こそ、新生中学校の授業が開始された記念日ということで、今となって納得しております。
 現PTA会長さんのお祖父様にあたり、開校当時の本校職員のお一人でありました荒木先生(後に気仙小第27代校長、長部小第12代校長、本校第7代校長)のお話です。

 …何処の地域にもある、“出来るだけ近くに”の願望による、両地区間の綱引きがありました。長さ一尺巾二寸の木片に、気仙中学校と墨書して、玄関に貼りつけました。が、僅か25坪の電灯設備もない建物では、どうにもなりませんでした。又、職員生徒で、ストーブに焚く薪を切りに、長部の山に行った事もありました。校庭がないので、運動会は両小学校と合同で行いました。学芸会も、小学校と合同でした。印象に残っているのは、劇“ベニスの商人”を昼は長部小で、夜は公会堂で上演しまして、多大の喝采を博しました。(昭和22年度)。
 …やがて、町議会に於いて建築の議が持ちあがり、敷地決定について田の浜と川口とが選ばれ討議されたのでしたが、敷地造成に金のかからない川口地区に落ちついたのでした。そして建築にとりかかったのでしたが、三年生が瓦を屋根迄あげる、一寸危険な作業を手伝う等、今では考えられない事もありました。遠足には、気仙沼迄、歩いて行きました。修学旅行には、盛岡迄、米と薪を背負って行きました(昭和24年度)。…

 …以上本校創立50周年記念誌より抜粋しました。下の写真は本校第1回卒業生の集合写真です。場所は本校舎として長部小学校庭にあった青年会集会場前だったそうです。向かって前列左から2人目が荒木先生です。


2016/05/02 14:50 | この記事のURL2016年05月

花いっぱい運動・気仙駐在所編

 去る5月1日に、文化部有志が大船渡警察署気仙駐在所を訪れて、これまで育ててきたシャスターデージーとキンセンカの苗とプリムラを、国道45線沿いの駐在所交番前花壇に植えてきました。代表として部長の熊谷君が、小笠原亘所長さんに報告をしました。
 この気仙駐在所は、昨年の7月7日、震災・火災を乗り越えて運用が再開し、小笠原亘巡査部長さんが所長として勤務され始めたと当時の新聞で報道されました。
 6年前に、前任の金野泰史巡査部長さん(当時53才、後に2階級特進により警部)が赴任なされて、4月7日(水)に本校の交通安全教室においでなり、細かく丁寧なご指導を戴いたことを今でも懐かしく思っております。その年は、入学式が日曜日により、当時の新所長さんの本校への初お目見えはその日でした。
 普段、祭りや催し事の警備など様々な活動により私たちを安心させて下さっていたのもさることながら、いざという時には、文字通り身をもって私たちの安全を守って下さいました。本校がお借りしている矢作の校舎は、他の駐在所管轄になってはおりますが、本校生徒の6割が住む地域の駐在として、小笠原所長さんはお一人で24時間勤務をなさって、気仙町地域の安心と安全を守って下さっております。今回はそれらに対するほんの僅かばかりのお礼の気持ちによります。
 文化部としてはお借りしている校舎・矢作診療所公舎脇・長部駅・長部小仮設花壇の一部・セブンイレブン気仙町店前・要谷大屋付近に続いて7ヶ所目の花いっぱい運動活動場所となります。


2016/05/02 14:40 | この記事のURL2016年05月
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