県通信陸上大会
高田スマイルフェス
全校合唱「空~僕らの第2章~」練習に向けて

この曲は平成24年3月15日(木),本校の卒業式で全校合唱されたのが初演でした。震災に関わって本校の状況に心を痛めた当時本校音楽担当の千葉先生が「生徒に元気を」との思いで気中生のための合唱曲づくりに奔走してくださいました。平成23年の1学期,中学生の合唱曲として有名な「時の旅人」の作詞家深田じゅんこ先生(岩手県在住)に作詩をお願いしたところ,さっそく6月に陸前高田市を訪れ気仙中校舎をはじめ本市の当時の様子をご覧になったり現地の人々から聞き取ったりされながら,作詩を快諾してくださいました。
詩が出来上がってから東京芸術大学大学院を卒業し,現在子供ミュージカルや中高生のための合唱曲を中心として作曲なさっている大田桜子先生が曲を付けてくださいました。曲は12月下旬に完成,全校生徒が1月中旬から練習を始めました。題名は2月初旬に「空~僕らの第2章~」と決定されました。「故郷を思う気持ちを忘れることなく,力強く『第2章』の道を歩んでほしい」との願いを込めたそうです。
卒業式の前々日に大田先生が本校にいらして直接合唱のご指導をしてくださいました。曲の前半では心の内面を歌い,「限りない~」からは次第に気持ちも音楽も前へ向かって流れるように,「希望は~」からは言葉の意味を噛み締めて焦らず丁寧に,「僕らは辿る~」からは光輝く未来に向かって堂々とたっぷり歌い上げてください…等と貴重なアドバイスを戴きました。
どのような状況にあっても常に変わらぬ大自然の一つとしての「空」,所謂「天」に通じる「空」,遠く故郷を想っての「空」等。「僕ら」とは即ち文字通りの「僕ら」,拡大解釈すれば(どこの誰にでも通じるという意味で)「他人事ではなく自分にも関わっている事」。…誰の心にもある地域愛・故郷への思いを託して創作されたと聞きますこの曲は,従って,どこの誰でもが共通して持つ気持ちを込めて広く歌われるようになりました。文化部がインターネットで調べたところでは数多くの学校で歌われていました。中にはあの感動の卒業式に採用される所も!
県通信陸上壮行式
校歌の作曲者・千葉了道先生について調べました
新体制による文化部活動の始まりとして取り組みました。下の写真の人は千葉了道先生(1915.10.6~1988.9.13)です。左側の写真撮影は昭和15年4月4日,一関高等女学校入学式の職員集合写真から抜粋しました。現在の中学生から高校生の年齢にあたる生徒(現在と違って選抜試験に合格した生徒!)に教えること1年目,24才の若き音楽教師の姿です。とても真面目な先生で滝廉太郎やロマン派の音楽が大好きでピアノを伴奏して歌わせていたそうです。(担当者の母・談)
インターネットで検索したり陸前高田市立図書館を通じて岩手県立図書館より「岩手人名大鑑」という書物を取り寄せたりして調べました。右上の写真は岩手大学教育学部教授の頃で,右下の写真はその名誉教授の頃だそうです。昭和26年35才の時に気仙中学校校歌を,昭和30年39才の時に陸前高田市民歌を,翌年40才の時に長部小学校校歌を作曲するなど数多くの曲を作ったり合唱の指揮を務めたりしたそうです。
<その他の略歴>
・大正4(1915)年10月6日気仙郡小友村生まれ。
・昭和10(1935)年岩手師範学校卒業
・同年4月東磐井郡藤沢町徳田小学校訓導。
・昭和13(1938)年岩手師範学校専攻科卒業
・同年4月盛岡市仁王小学校訓導。
・昭和15(1940)年4月一関高等女学校教諭
・同年7月文部省検定試験合格(音楽)。
・昭和18(1943)年4月岩手師範学校教諭。
・昭和21(1946)年4月杜陵合唱研究会第1回演奏会にテノールで参加。
・昭和24(1949)年学制改革により岩手大学となり,そのまま学芸学部(後に教育学部)教授として勤務。
傍ら全日本合唱連盟の理事などの重職もつとめる。県内各地の市民歌・町歌や校歌など多数を作曲。
・昭和48(1973)年4月14日岩手県民会館完成を祝い,大ホールにて岩手県初のオーケストラ・岩手県民
オーケストラの第1回定期演奏会。指揮者。
・昭和56(1981)年4月岩手大学名誉教授
・昭和60(1985)年岩手日報文化賞受賞
・現在,盛岡の証明寺にて安らかに眠られております。
インターネットで検索したり陸前高田市立図書館を通じて岩手県立図書館より「岩手人名大鑑」という書物を取り寄せたりして調べました。右上の写真は岩手大学教育学部教授の頃で,右下の写真はその名誉教授の頃だそうです。昭和26年35才の時に気仙中学校校歌を,昭和30年39才の時に陸前高田市民歌を,翌年40才の時に長部小学校校歌を作曲するなど数多くの曲を作ったり合唱の指揮を務めたりしたそうです。
<その他の略歴>
・大正4(1915)年10月6日気仙郡小友村生まれ。
・昭和10(1935)年岩手師範学校卒業
・同年4月東磐井郡藤沢町徳田小学校訓導。
・昭和13(1938)年岩手師範学校専攻科卒業
・同年4月盛岡市仁王小学校訓導。
・昭和15(1940)年4月一関高等女学校教諭
・同年7月文部省検定試験合格(音楽)。
・昭和18(1943)年4月岩手師範学校教諭。
・昭和21(1946)年4月杜陵合唱研究会第1回演奏会にテノールで参加。
・昭和24(1949)年学制改革により岩手大学となり,そのまま学芸学部(後に教育学部)教授として勤務。
傍ら全日本合唱連盟の理事などの重職もつとめる。県内各地の市民歌・町歌や校歌など多数を作曲。
・昭和48(1973)年4月14日岩手県民会館完成を祝い,大ホールにて岩手県初のオーケストラ・岩手県民
オーケストラの第1回定期演奏会。指揮者。
・昭和56(1981)年4月岩手大学名誉教授
・昭和60(1985)年岩手日報文化賞受賞
・現在,盛岡の証明寺にて安らかに眠られております。

夏至に向けて・地区中総体中の文化部取り組み
10月1日より11日まで国民体育大会が岩手県内で行われます。全国各地からのお客さんをたくさん咲いた花で迎えようと取り組んでいます。マリーゴールドとサルビアの種まきを先日行いました。例年なら5月中に撒くのですが,10月のその期間中に花盛りであればと願って,夏至を迎える現在に種まきをずらしました。
写真の中ほどに広がっているように,ただ今ヘブンリーブルーアサガオ苗の提供中です。本葉も出始めてきました。追加してお渡ししているところもあります。10月にも咲き続ける花なので,国民体育大会中も花盛りでしょう。いくらでも喜んで提供しています。
写真の左側は土を入れ替えたばかりの学校園です。地区中総体が終わって夏至が過ぎると,この学校園にはマリーゴールドとサルビアの苗が植えられる予定です。主任の佐々木先生を中心に学校の玄関付近が花で飾られることでしょう。
写真の中ほどに広がっているように,ただ今ヘブンリーブルーアサガオ苗の提供中です。本葉も出始めてきました。追加してお渡ししているところもあります。10月にも咲き続ける花なので,国民体育大会中も花盛りでしょう。いくらでも喜んで提供しています。
写真の左側は土を入れ替えたばかりの学校園です。地区中総体が終わって夏至が過ぎると,この学校園にはマリーゴールドとサルビアの苗が植えられる予定です。主任の佐々木先生を中心に学校の玄関付近が花で飾られることでしょう。
